成功の裏に隠れた努力
それを見て感じたことがある。
成功して輝いている人の影の努力を知らない
自分は結果を残している人を見ると、才能があっていいな、どうせ俺には特に才能ないからなとよく思ってた。
京大に入ったのだって、テニスが上手くなったのだって、人一倍努力したからであって、別に才能があったわけじゃない。と自分では思ってる。
よく努力出来るのも才能と言われるが、別に努力したくてしてたわけではないし、目標があるなら努力はしなくてはいけないものだった。
今日の情熱大陸では、シンガーソングライターとして大ブレイクしているmiwaが、私には才能がないのはわかってるからたくさんたくさん歌詞を書いて、それを磨けるだけ磨けば輝く石になるみたいなことを言ってて、才能があるってどういうことなのだろうかと考えさせられた。
大切なのは、才能があるとかないとかではなくて、自分の人生をかけてもいいほど好きなものに出会えるかどうかということなんじゃないかなと思った。
もちろん、努力すれば必ず成功するわけではないし、身体的特徴や性格の遺伝など才能と呼ばれるものが存在することも確かだと思う。
イチローが、限界まで努力してプロになれなかった人を僕は知らない。と言ったとか言ってないとか。
プロ野球選手の人数が決まっている以上、理想的にはこの言葉が真になることはあり得ないが、俺も限界まで努力して目標が叶わなかった人を知らない。
その道のプロになっている人たちはやっぱり僕らの想像のつかないような努力を日々重ねている。
僕らが言う才能がないからあの人のようには出来ない。ということの大半は、その人の隠れた努力を知らないだけな気がする。
その人と同じ量の努力をすればその人と同じ結果が出るわけではないが、自分なりの限界の努力をすれば、それなりの結果は得られると思う。
やっぱりここで大切なのは、限界まで努力出来るほど好きなことか?それだけの覚悟があるか?ということ。
今自分にやりたいことがあるのなら、限界まで努力をしてみることが大切かもしれない。
最近こういう根性論的な考え方は敬遠されがちだが、頑張ってる人を周りで支え合いながらやっていけばうつ病になったりせずにすむんじゃないかなとも思う。
やっぱりしんどいこともしなくちゃいけない。
しんどい時には周りで支え合えばいい。
それが理想。